大野元春のイギリス・オーストラリアのサッカー事情

大野元春1
イギリス・オーストラリアに指導者として留学経験をお持ちの大野元春氏。
イギリス留学時代はシェアハウスに一緒に暮らす外国人が薬物中毒になり暴力をふるわれた経験も…。
また、オーストラリアの留学時代にはU18の監督をしていたときに、カンガカップというオーストラリア全国からチームが集まる大会で準優勝になった経験もお持ちです。
そんな幅広い経験をお持ちの大野元春氏のサッカー観や指導論をご覧ください。

プロフィール

(選手歴)
・昭和学院昭和秀英高校→東京工学院専門学校(半年)→ロンドンのアマチュアチーム(13部リーグ相当)
(指導歴)
東京ヴェルディサッカースクール アシスタントコーチ(2006-2008) → 昭和秀英学院中・高サッカー部ヘッドコーチ(2015-2016) → 西オーストラリア州ナショナルプレミアリーグ所属Floreat Athena FC U15 監督(2016-2017) → 首都特別地域ナショナルプレミアリーグ所属Monaro Panthers FC U18 監督(Kanga cup 準優勝、NPL優勝決定トーナメント進出)→上智大学サッカー部 臨時コーチ(3週間) → 国際基督教大学サッカー部監督(2019.1-6) → Reiwa Wanderers FC 代表兼監督(2020-)

選手歴・指導歴

――まずは大野さんの選手歴・指導歴からお伺いしてもよろしいでしょうか?
プレーしていたのは高校までで、コーチやスポーツ推薦組みもいないような全然強い学校ではなかったです。
――高校卒業後すぐに指導者への道へと進んだのでしょうか?
本当はすぐにでも海外に行きたかったんですけど、サッカーについてもっと勉強したいと思って、当時増えていたサッカー関連の専門学校に進学しました。
そこは、指導だけでなくて、審判やサッカービジネスなど幅広い分野を学べると謳っていたんですけど、実際は授業の内容も質も成長するには物足りなくて…。
カリキュラムに関しては入学直後から学校側に抗議していたんですけど、もちろん改善するわけなく、結局は半年で退学することにしました。
――なるほど。
それは、時間の無駄のように感じてしまいますね。
自分の通っていた高校は専門学校という選択肢がほとんどない学校だったので、強い決意をもって専門学校に入学したので、余計に焦りを感じたのもあるかもしれませんね。
ただ、もともと卒業したら海外で指導者の勉強をするつもりでしたので、それなら早くお金を貯めて海外に行こうと決断しました。

海外留学Part1(イギリス)

――指導者を目指されたきっかけって何かありますか?
選手としての才能の無さを自覚した中学生のときに、「闘うサッカー理論」という本に出会って、著者の湯浅健二さんが、プロ経験がないのにドイツでプロライセンスを取得したということを知ったんですよ。
しかも、当時、中田英寿の影響で、海外で活躍するということに憧れを抱いていたので、正に運命のように感じて、その瞬間から「海外でプロ監督になる」ということが目標になりました。
――湯浅さんに感銘を受けてということは、ドイツに渡られたのでしょうか?
いいえ。
ドイツに行こうと思ってドイツ語の学校にも通っていたんですけど、そのドイツ語の講師がたまたまサッカー留学のコーディネートをしている方で、話を聞いたらドイツでプロライセンスを取るには英語とドイツ語と第三外国語が必要だということが判明して…。
――それはハードルが高いですね。
だからまずは英語を習得しようと思ったところ、偶然にも競争率の激しいイギリスのワーキングホリデーが取れたのでロンドンに渡りました。
――時期としてはいつ頃ですか?
専門学校を退学したあと、サッカースクールのコーチをやりながら夜勤のコールセンターなどで働いてお金を貯めて、何だかんだ4年くらいかかってしまったので、結局大学に行くのと同じだけ時間かかってますよね(笑)
――でも、4年間お気持ちが変わらずに実現されて、すばらしいですよ。
イギリスでの生活はいかがでしたか?
仕事探しが大変でしたね。
日本のように求人サイトが普及していなかったので、日本人向けコミュニティサイトから仕事を探すのが主流だったんですけど、英語力向上が最大の目的だったのでなんとか日本人のいない環境で働きたかったので、履歴書を片っ端から配り続けて、ようやく地元のパブでバースタッフの仕事を見つけることができました。
配った履歴書は100を超えましたけど(笑)
――それはハードでしたね(笑)
英語力の向上が最大の目的ということですが、語学に関してはOJTというか、現地に飛び込んで身に付けたのでしょうか?
語学学校にも通ったんですけど、基本外国人しかいないので、生徒同士で会話してもぎこちないですし、正直効果としてはいまいちでしたね…。
ですので、3ヶ月通ったあとは独学で文法を勉強して、ひたすら読書と映画鑑賞でネイティブの英語に慣れるようにしていました。
――そういった努力もされたんですね。
サッカー面はいかがでしたか?
イングランドサッカー協会が運営しているサイトでコーチの募集しているチームの一覧が見られるので、到着してすぐ英語もまともに話せない状態で、とりあえずコンタクトしてみたら意外とあっさりチームは見つかりました。
ただ、住んでいた家でトラブルがあって、引っ越ししないといけなくなってしまって。。
――差し支えなければ、どのようなトラブルだったかお聞きしてもいいですか?
シェアハウスに住んでいたんですけど、ハウスメイトが薬でおかしくなって暴力をふるわれてしまったんですよ…。
――えっ!それはちょっと怖すぎですね。
めちゃくちゃ怖かったですね。
もともと薬をやり過ぎて死にかけたとか、拳銃ならいつでも手に入るとか普通に話してた人だったんで死を覚悟しましたね(笑)
そんなこともあったので、引っ越しを余儀なくされて…。
――命に別状がなくてほんとうに良かったですね。
引越しされてからはいかがでしたでしょうか?
改めてチームを探すこともできたんですけど、トラブル対応や引っ越し等を通して自分の英語力の低さを痛感して…。
その状態でコーチとしてチームに入ったとしても、できることはかなり限られていると思ったので、とにかく英語力を向上させるためにアマチュアチームに入ることにしました。
――ご自身がプレイヤーとしてってことですか?
はい。
選手の募集はサイトで確認できるので、そこからコンタクトを取ってチームを見つけました。
――英語力の向上には繋がったんでしょうか?
それまでは英語を勉強してる外国人か、日本人や外国人と接することに慣れている人と交流することがホントでしたので、ロッカールームで現地人同士の話を初めて聞いて衝撃を受けましたね。
――衝撃ですか?
はい。
聞くことに集中しても一つも単語が聞き取れなかったですし、話しかけてくれるときもすごい短い文章なのに何を話しているのかまったくわかりませんでした。
それで、今までは自分と話すときは、外国人の自分に合わせた英語を話してくれていたというのが分かったんですよ(笑)
――なるほど(笑)
自分たちも日本に来た外国人に対してもそうしますもんね。
ですよね。
結局、ライセンスは日本でいうD級ライセンス(レベル1)だけ取って、そこでビザが切れてしまい帰国しました。

海外留学Part2(イギリス)

大野元春3
――一時帰国されてからは、当初の予定通りドイツに渡られたんでしょうか?
いいえ。
これはドイツどころではないぞと感じて再度イギリスに渡りました。
――ドイツどころではないというのは語学面でしょうか?
はい。
正直、2年いてもペラペラには程遠い状態だったので、これでドイツに行ったら、また1からになって、ちゃんと指導できるのはいつになるのかなと…。
――なるほど。
指導者はプレイヤー以上に語学が必要ですもんね。
はい。
とくに自分が指導者としてやりたいことを実現するには語学力が重要だったんで。
――指導者としてどのようなことを実現したかったのでしょうか。
「海外でプロの監督になる」という目標は明確だったんですけど、その過程やプランBとしてジュニア年代のコーチやスクールコーチでも良いかなと最初は思っていたんですけど、でも、そこは自分が指導者という職業に魅力を感じていることとは違うなって感じ始めたんです。
――ジュニア年代やスクールコーチでは、大野さんが魅力に感じている指導ができないということですか?
はい。
そもそも、自分はもともとそんなにうまくないので、技術面に関してはそこまで教えられないなというのと、自分が好きなサッカーって熱いサッカーなんですよ。
それこそ、練習中から喧嘩するくらいの激しさとか、レギュラーをめぐる熾烈なチーム内競争なんかがサッカーで一番好きなところなんですよね。
――そうなんですね(笑)
それだと、たしかに上のカテゴリーではないと厳しそうですね。
子供であればある程度の語学力で指導はできると思うんですけど、高校生以上になると、「ある程度」では絶対に無理ですから。
――それで英語のレベルを更に上げるためにイギリスに渡られたんですね。
はい。
ただ、イギリスってビザがもの凄く厳しくて、語学ビザだとアルバイトができないですし、アルバイトをするには大学に行かないといけないんですけど、大学の学費がもの凄く高くてそれも無理で…。
――それはなかなかハードルが高いですね。
なので、とりあえずもう一つ上のライセンスだけは取ろうと思って、語学ビザで1年だけ行って、C級ライセンス相当のレベル2を取得しました。
――2回目のイギリス留学は順調でしたか?
1回目と比べるとそうですね(笑)
アルバイトができなかった分、色んなことを考える時間がたくさんあって、頭の中もクリアになって、サッカーの考え方というのが少しずつ明確になってきました。
――どのような考え方ですか?
違和感を感じたシーンを一つずつ常識にとらわれずに自分の頭で考えて、仮設を立てることにしたんですよ。
例えばゴールキックって、今ではだいぶ後ろから繋ぐようになりましたけど、当時は相手が少しでも前から来ようとするとロングボールを蹴ることが多かったんです。
――今でも高校サッカーとかでは多いですよね。
はい。
そこから、「相手がこう対応してきたらどうなるのか」「このパターンならどうなのか」「ロングボールを蹴ること自体のメリット、そこから起こり得る事象」などをバルセロナはこうだとか、チェルシーがどうするかなどではなくて、一から自分自身でシュミレーションしていくことで、それまでボヤケていたサッカーのイメージが少しずつ明確になって来たんです。
――なるほど。
自分の頭で考えるって大切なんですね。
あとわかりやすいのはセンタリングもですね。
ふんわりとしたセンタリングがありますけど、どれくらいの確率でピンポイントで蹴れるのかとか、身長の問題や風の影響もありますし、果たしてどれくらい有効なのかとか、いろいろと気になる点が出てきたんです。
――おもしろいですね。
そうなると、次は実際に試してみたくなりますよね?
シュミレーションを繰り返して仮説を立てることができたので、あとは実証する必要がありますからね。
ただ、当時の英語レベルだと高校年代の指導に携われたとしてもアシスタントコーチだったと思いますし、そうなると、自分の考えは当時の常識からするとズレていたところもあったので、誰かの下だとうまくいかないと思ったので、とりあえず日本に帰国して母校で指揮を執ることにしました。

海外留学Part3(オーストラリア編)

――母校での指導はいかがでしたか?
中間一貫校だったので、中学・高校と両方を担当することができて、やりたいサッカーというのも試すことができたのでいい経験にはなったんですけど、ただ、夜間に働きながらのボランティアコーチでしたし、元々ライセンスを上げていきたいというのもあったので、1年足らずでまた海外へ向かいました。
――次はどちらの国に渡られたんでしょうか?
英語と日本語しか喋れないという状況で他の国に行くと、また一からになってしまいますし、基本的にライセンスがBになると、ヨーロッパとかアジアの大きな団体のライセンスになるんですけど、Cだとその国独自のライセンスなんですよ。
――なるほど。
それではまたイギリスに渡られたんですね?
いいえ。
先ほどもお伝えしたようにビザの基準が厳しくて…。
――そうなると、他の英語圏に行くしかないですよね。
そうなんですよ。
それで、オーストラリアに関して調べてみたら、ヨーロッパの資格をそのまま移せて、さらにB級ライセンスを取得することに対しても凄いオープンだということがわかったので、オーストラリアに決めました。
――もう、それはオーストラリア決めるしかないですね。
そうですね(笑)
あと、当時オーストラリア代表の監督は現横浜Fマリノスのポステコグルー監督だったんですけど、彼のスタイルにもとても共感できるものがあったので、母校での指導を辞めてから2ヶ月後にはオーストラリアに渡りました。
――フットワークが軽いですね(笑)
オーストラリアでは、早速ライセンスを上げたんですか?
協会のHPからB級ライセンスの日程を確認していたので、到着して3週間くらいで家を決めて、すぐに申し込みました。
――指導者のキャリアとしてはいかがでしたか?
まず、オーストラリアのサッカー事情を説明させていただくと、トップリーグはAリーグと呼ばれているリーグなんですけど、現在のところ、そこからの降格というのはないんですよ。
※現在、J2のようなプロリーグの2部を作ろうとしているようですが。
――なるほど。
それとは別に各州にリーグがあって、その最上位リーグがNPL(ナショナルプレミアリーグ)と呼ばれていて、Aリーグへの昇格はないんですけど、毎年各NPLの代表が全豪王者決めるトーナメントに参加しているんです。
(※地域リーグにはAリーグのチームの下部組織も参加しています)
――大野さんはどちらで指揮を執られていたんでしょうか?
西オーストラリア州のNPLに所属するFloreat Athena FCのU15のチームで最初は指揮を執っていました。

NPL事情

――ちなみに、NPLは各州にあるとうことですが、日本でいう町クラブのような存在でしょうか?
Aリーグの下部組織が各州のリーグに参加しているので、その地域のトップの選手はAリーグの下部組織に集まるんですけど、そこに入れなかった選手の次の選択肢がNPLのクラブになります。
というのも、NPLはAリーグが始まるまでは最上位リーグでしたので、各クラブがスタジアムを所有していて、トップチームにはセミプロの選手もいるんですよ。
それなので、子どもたちにとってはAリーグよりは身近な憧れなので、JFLや県リーグなどの参入しているチームの下部組織に近いかもしれませんね。
――日本では所属しているカテゴリーや大会結果によって志望者が増えたり・減ったりするんですけど、NPLではいかがでしょうか?
オーストラリアも同じですね。
さきほどお話したようにNPLというのはその地域ではステータスなので、特にNPLから2部に降格すると状況が大きく変わって移籍も多いというのを同僚のコーチが話をしていました。
――プロと同じような理由で移籍するんですね。
他には、試合に出れない場合とか、退団してしまう監督に付いていって辞めるケースも多いですね。
――えっ?監督に付いていくっていう理由もあるんですね。
そうですね。
監督がチームを移ることになって、丸々選手がいなくなってしまうこともあるので、良いのか悪いのかは分かりませんけど、毎年強いチームが変わったりします。
――大野さんご自身はこの年代の移籍に関してはどう思われますか?
指導者目線だと移籍が活発すぎるのも問題があるなと思っていて…。
――どのような理由からでしょうか?
メンバー登録が16人までなので、それ以上の選手を取ろうとすると試合に出れない可能性が出てくるので選手・保護者から不満が出て、すぐに他のチームへ行ってしまうんですよ。
特に小学生年代までは登録メンバーを全員試合に出さないと行けないというルールがあるので、中学・高校年代になって出場時間が減ると選手・保護者から抗議を受けることもありました。
――なるほど。
レギュラーを掴み取るっていう発想ではなくて、とりあえず試合に出れるチームに移籍するって感じですね。
はい。
それなので、厳しく指導もできないんです。
特にオーストラリア1年目のときは、選手の意識の低さが気になっていたんですけど、やり方を気をつけないとすぐに選手が出ていってしまうので、移籍の自由に関してはいろいろと考えさせられました。
――自由になりすぎても、人間教育という観点ではよくない面もあるんですね…。
話は変わりますけど、子供たちの月謝ってどのくらいになるんでしょうか?
私が所属した2チームはどちらも年間で13万円くらいでした。
シドニーなどの大都市はもっと高いと聞きましたが。
――ちょうど日本と同じくらいですね。
はい。
ただ、オーストラリア国内では高いって批判されていますけどね。
――高いって認識なんですね…。
ラグビーとかオーストラリアフットボールのほうが育成に力を入れていて、トップチームが稼いだお金を分配しているので、ジュニア年代は費用がかからないらしいんですよ。
――無料なんですね!
そこと比較されてしまうと、たしかに高く感じられてしまいますね…。

大会での好成績

大野元春4
――高校年代を担当されて好結果を出されたことがあるとTwitterで拝見しましたが、その時の話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?
オーストラリアの首都キャンベラにある地区のNPLに所属するMonaro Panthers FCというクラブでU18の監督をしていたときに、カンガカップというオーストラリア全国からチームが集まる大会で準優勝になったことがあるんですけど、ナショナルプレミアリーグでは怪我人や家の事情等で一時期選手が不足するという緊急事態がありながらもリーグ戦3位で優勝決定トーナメントに進出することができました。
――すばらしいですね。
決勝トーナメントではどうだったんですか?
決勝まで進んで、その試合では完全にうちのチームが支配していたんですけど、退場で一人少なくなった相手の捨て身のロングボールから失点してしまい、逆転負けを喫してしまいました。
それはちょっと悔しい敗戦ですね。
担当されたチームは戦力的にはいかがだったんですか?
前年にU16では優勝していて、そのメンバーが上がるという事で戦力的には整ってたんですけど、ただU18のチームで大半がU16からの昇格組みだったので、平均年齢は他のチームより1歳近く低かったです。
――1歳近く低いのにすばらしい結果ですね。
こちらのチームとはどのように出会われたのでしょうか?
オーストラリアは基本的にコーチの募集が各州の協会のサイトに集約されているんですけど、1年目のFloreat Athena FCでの指導が終わってから、NPLのU18での指導を目指して、全国の協会のサイトをチェックしていたんです。
――そこで見つかったんですね。
そうですね。
履歴書、自分のプレーモデルの表、過去の指導チームの試合動画を贈り、テクニカルディレクターが興味を持ってくれて、面談を経て正式に就任することができました。
――そうった努力が実を結んだんですね。
チームの運営は最初からすんなりとできたんでしょうか?
自分のやり方や考え方はオーストラリア人からすると独特みたいで最初は苦戦しました。
――どのあたりが独特だったんですか?
オーストラリア人は国民性なのかみんなで楽しくやろう!というのが根本にあるので、仲間意識・友達意識が凄く強くて、それは良いとしても、楽しくを通り越してふざけちゃうんですよね…。
――熱いサッカーがしたい大野さんにしたら、もどかしいですね…。
そうなんですよ。
あまりにも行き過ぎていたので、練習も本番と同じシチュエーションでやらないと意味がないっていう話をして、「ノースマイルポリシー」というものを作ったりもしました(笑)
最初は強制せずにそういう雰囲気に持っていこうとしたんですけど、思ったよりも時間がかかってしまったので、強制することで緊張感の中でやるサッカーの楽しさを理解してもらおうと思いまして…。
――なるほど。
今までの環境からする180度違いますし、それはちょっと独特に感じられそうですね。
はい。
それなので、アシスタントコーチからも結構反発があってなかなか大変でした。
――そんな環境下でも結果を出されたのは、何か秘訣があったのでしょうか?
秘訣と言えるかは分かりませんけど、色々な問題や外部からの圧力があっても、自分の信念を曲げずに自分のフィロソフィを貫いたことが秘訣というか重要だったと思っています。

日本人とオーストラリア人の違い

――先ほどのオーストラリア人は明るすぎちゃうということ以外に、日本人との違いって何かありますか?
オーストラリア人はきちんと自己主張ができるので、そこは大きな違いですね。
ただ、ちょっとぶつかっただけで交代サイン出して、2,3分したらもう治ったというのはびっくりしましたけど(笑)
――そうなんですね(笑)
日本人は無理しすぎてしまう傾向がありますからね。
プレーの面ではいかがですか?
技術に関しては話にならないくらい日本のほうが高いですね。
――それでも、ワールドカップで負けたり予選で苦戦してますよね…。
僕もオーストラリアに渡る前までは、日本と同じくらいのレベルかなって思ってたんですけど、グラスルーツは全然違いますね。
NPLでうまいって言われてる子も日本だと「?」って感じです。
――なるほど。
でも、なぜそこから成長できるのでしょうか?
オーストラリアって移民の国なんで、パスポートを2つ持っている選手が多いんですよ。
だから、うまい選手は早いうちからヨーロッパに行ってるからだと思います。
あとはAリーグの下部組織にはその地域のトップの選手が集まっていて、一つ上の年代のリーグに参戦しているので、そういった意味ではエリート育成がうまいのかもしれませんね。

将来に関して

――大野さんの目標や将来の夢をお伺いしてもいいですか。
今はサッカー監督になること自体が目標ではなくて、先ほどお伝えしたように自分の立てた仮説を実証することが目標です。
実証されれば自然と上のレベルにいけますし、仮説が間違っていれば修正が必要だとは思うんですけど、そもそも根本が間違っていることが判明した場合は、引き際であるのかなと思っていて、実証するためには仮説を落とし込むための環境が必要なので、その環境を作るためにはボランティアでもいいと思っています。
――かっこいいですね。
ご自身を貫かれていて。
いえいえ。
そんなことないですよ。
ただ、食べていくとなると、多くの選手を抱えたり、朝から夕方までは幼稚園・小学生を教えて、そのあとに中学生を見ないといけなくなってしまったりとかするじゃないですか?
僕は集中して1チームだけを見たいので、サッカーで食べていくのは正直難しいのかなって思っていますし、腹を括っています。
――でも、集中して1チームだけを見て自分の理想を貫いて、その先に職業として成り立つようになればいいんですよね?
はい、本当にそれは指導者にも選手にも言えることだと思います。
私自身もそうですけど、今のサッカー文化では選手・監督として理想の環境を求めるためには社会人としてのキャリアは諦めないといけないんですよ。
本来サッカーって、本気でプレーするために人生を捧げるか否かというような大袈裟なものではなくて、学業や仕事と両立できるはずなんです。
――たしかに。
プロになると別ですけど、もう少し簡単に競技としてのサッカーを続けられる環境があってもでも良いですよね。
結果として上のレベルから引き抜かれれば、サッカーを仕事にできますし、そうでなかった場合も普通に仕事があるのでプロになれなかったといって絶望することもないと思うんですよ。
そういった文化を実現するためにもReiwa Wanderers FCを立ち上げることにしました。
――ご自身でチームを立ち上げられるんですね。
プロアスリートのセカンドキャリアという問題はいろいろと議論されていることではありますけど、プロになれなかった選手のセカンドキャリアについて語られることは多くないじゃないですか!?
――はい。
聞いたことないです。
サッカーにすべてを賭けるというのがなくなれば、セカンドキャリアという考え方も必要なくなるのではないかと思っているので、そのためには、サッカーに本気で打ち込める環境と共に社会人としてのキャリア設計が重要になると思うんですよ。
――たしかにそうですね、
Reiwa Wanderers ではキャリアコンサルタントという国家資格を保有している方にサポートいただき、選手のピッチ外でのキャリア設計のサポートも行っていきます。
なので、このクラブの取り組みに賛同していただける方がいたらぜひ連絡していただきたいですね。