屋良充紀のシリアA代表コーチ時代の話

屋良充紀-シリア代表編③
※元シリア代表監督ファジル・イブラヒムとの写真
現在、神奈川県川崎市を中心に活動されているリーベルプントFCを率いる屋良充紀氏。
以前、シリアA代表のコーチを務め、キリンカップでは岡田監督時代の日本代表とも対戦されています。
シリアでのアカデミーの立ち上げの話や日本人とシリア人の子供の違いなど大変多岐に渡るお話を伺いました。
そんな貴重なお話をぜひご覧ください。

プロフィール

【ライセンス】
・日本サッカー協会公認A級U12コーチ
・日本体育協会指導員
・ブラジルサッカー連盟サンパウロサッカー協会公認指導者コース終了
・コロンビア、アンティオキアサッカー協会指導者コース終了
【選手歴】
・モンチ・ネグロFC(90/2~90/12 ブラジル)
・ECコメルシアル(91/2~92/1 ブラジル)
・ECサント・アンドレ(92/4~92/12 ブラジル)
・GEマウアエンセ(93/1~93/6 ブラジル)
・グリーン・クロス(95/5~95/8 エクアドル)
・インデペンディエンテ・サンタフェ(99/5~99/12 コロンビア)
【指導歴】
・エスコリーニャFC 代表・監督(94~現在)
・インデペンディエンテ・サンタフェ 選手兼任でサテライトチームコーチ(99/7~99/12)
・横浜FC泉Jrユース 監督(2000/10~2007/3)
・神奈川県立和泉高等学校サッカー部外部コーチ(2005/4~2006/3)
・シリアフットボールアカデミーU14、12 ヘッドコーチ(2008/1~2009/6)
・シリア代表コーチ兼テクニカルスタッフ(2008/10~2009/6)
・kazuSCJr.ユーステクニカルアドバイザー(2009/11~)
【メディア出演】
・「もぎたて朝一番」 火曜日フットサルのコーナーでレギュラー出演
・「とんねるずの生でダラダラいかせて」 ノリタケ少年サッカー団コーチ
・「ヤラッチのサッカー見聞録」 司会
・「YCV保土ヶ谷区少年フットサル大会」 解説
・「サッカー天国!~O Paraiso de Futebol!~」
・「青空へシュート!(監督:すずきじゅんいち 主演:宍戸開)」

シリアのサッカー熱

ーー本日はシリアのA代表のコーチ時代に関してお伺いさせていただきたいんですけど、まず、シリアに渡られたのはおいくつくらいのときなんでしょうか?
30代中盤くらいです。
ーーきっかけをお伺いしてもいいですか?
指導していたチームの内部でいろいろと問題が起こっていたから次のことを考えていたんだけど、そのときにJFAのホームページを見ていたら、海外貢献の取り組みの一環としてシリアで指導する人間を募集してたんだよね。
ーータイミングよく目に留まったんですね。
そうそう。
まだそのチームを辞めてはいなかったんだけど、試験があったから、合格・不合格によって、その後のことは考えようと思って。
ーーシリアって何語になるんですか?
アラビア語だね。
ーーアラビア語は喋れたんですか?
いや、全然。
通訳が付くっていうことだったし、日々買い物とかすれば覚えられるから。
基本的には積極的に現地の人と話して、単語を繋げればなんとかなるし、最終手段として日本語で喋っちゃえば良いから(笑)
ーーでも、日本語は通じないですよね?
大きい声で言うと通じたりするもんだよ(笑)
例えば試合中に大声を出してアクション付きで「行け!」って言ったら、急いで攻め上がらないといけないんだなって何となく伝わるじゃん?
ーージェスチャーと気持ちで伝わるんですね(笑)
シリア国内のサッカー熱はいかがなんでしょうか?
アルジャジーラっていうテレビ局が世界中のサッカーを放送しているし、中東自体がそうなんだけど、サッカー人気は凄いよ。
とくに当時はバルセロナが人気で、みんなバルセロナのシャツを着てたね。
ーーそもそも、募集というのは、A代表のコーチの募集だったんですか?
いや、違う。
もともとはシリアのサッカー協会から育成年代の環境整備や評価をしてほしいというざっくりとした依頼が日本にあって、詳細は派遣されるスタッフ本人が話し合って決めてくださいっていう感じだったんだよね。
ーーまずは育成年代からスタートされたんですね。
シリアの育成年代はいかがでしたか?
俺が行ったのはダマスカスという首都だったんだけど、駐車場もなくて車を置くスペースもないくらいギチギチの町で、ストリートサッカーをやる環境はないし、海外ではわりと当たり前だけど、日本の部活のようなものも一切ないからね。
ーー子供たちがサッカーをやる環境が少ないんですね。
そうそう。
シリアって強かった時期もあったけど、そこからまた低迷しちゃってるんだよね。
なんでかっていうと、永続的に選手を発掘したり、育成する環境がなくて、社会主義国家だから、将来の職業が決まっちゃっている子供もいて、夢を持てないっていうのもあるからね。
ーーなかなか大変そうな役目でしたね。
ただ、ダマスカスにはシリアリーグの1部にあたるようなクラブが4つくらいあったから、クラブの下部組織に入ってサッカーができる環境は一応あるんだけど、でもそんなに多くの子供たちをクラブが抱えられる訳でもないしね。
でも、ポテンシャルの高い子たちがいるっていうことはわかっていたから、アカデミーのようなものを立ち上げて、興味を持ってくれた子たちのセレクションをまずはやったね。
ーーセレクションには多く集まったんですか?
何百人も来て、それで見ていたらさ、みんなオーバーヘッドキックをするんだよ。
めちゃくちゃ下手くそで、まともに蹴れないのに。
何百人もいるから、休ませている奴がいるじゃん。
休んでる奴はみんなオーバーヘッドキックの練習ばっかりしているの。
ーーそれはいいところを見せたいってことなんですか?(笑)
日本のサッカーと言えば、キャプテン翼だから。
日本から来た指導者だし、オーバーヘッドキックが好きに違いないって(笑)
ーーセレクションを突破するためにやっていたんですね。
そう、アピールでやってたの。
跳ねたボールもオーバーヘッドをしようとしていて、さすがに怪我をしたら大変だから、通訳に頼んで途中で止めさせたけどね。
ーーある意味自由ですね(笑)
考え方が柔軟で自由なのか、ただのギャグなのかどっちかわからないけどね(笑)
でも、見ていてなんか気持ちがいいんだよね。
元々そういうスポーツじゃん、サッカーって。
だって、やろうと思えばオウンゴールだってできるんだよ。
あえてそんなことする奴はいないと思うけど、そのくらい自由なスポーツじゃん。
ーー日本人もそのくらい自由な発想を持って、プレーをしても良いのかもしれないですね。
うん。
でも、指導者もみんなサッカーをあんまり自由にやってきていないんだよね。
だから、こうあるべきだとか、こうじゃないといけないって言っちゃうんだよね。
逆に、それ良いよね、あれ良いよねとはならないで。
ただ、そういう人に限って一生懸命サッカーのことを頑張ってるんだけどね。
ーー結果を残さないといけないっていうのもあるのかもしれないですね。
指導者もいっぱいいっぱいなんだろうね。
俺なんかは別にいつ辞めてもいいって思ってるから。
鉄道模型が趣味だから、そっちもやりたいんだよね(笑)
ま~、それは冗談だけど(笑)
ーーいやいや。
屋良さんには世界で活躍されてきた経験を下の世代に伝えいただく役目がありますから。
話を元に戻しますと、アカデミーは順調に立ち上がったんですか?
ダマカス以外にもいくつかわりと大きな町があって、そういうところには大きなクラブチームがあるんだけど、そういうクラブチームと話し合って、自分たちだけでは育てられないような子たちを集めて、サッカーを多くできる環境の構築はわりと順調に立ち上がったかな。
ーー日本でいうとトレセンのようなイメージですか?
そうそう。
ただ、週に1回はセレクトされた子だけではなくて、年齢も関係なく誰が来てもいいことにして、ミニゲームのコートをグランドにいっぱい作ってあげて、俺たちコーチもゲームに混ざって一緒に楽しんでたけどね。
セレクトされた子は週に3日くらいトレーニングしてたけど。
ーーセレクトされなかった子たちにまで、サッカーができる環境を整えてあげたんですね。
あとは大人用のゴールしかシリアにはなかったから、日本の小学生が使う大きさのゴールを特注で作ってもらったり、近くの強豪チームに声を掛けて、11人でやるサッカーの文化しかなかったんだけど、8人制の大会を開催したり、リーグ戦を立ちあげたり、いろいろと環境整備というところでは実現できたと思うよ。
ーー8人制ということは小学生年代の整備をまずはされたんですか?
最初はそうしようと思ってたんだけど、セレクションを実施したら、13歳・14歳の子も集まってきちゃったから、カテゴリーは幅を持たせて8歳から14歳までにしたんだけど、ただ、自分の年齢が分からない子たちもいたから、そんなに年齢は気にしてなかったけどね。

屋良充紀-シリア代表編②

※白い魔術師と呼ばれ2002年のW杯を率いたセネガル代表監督「ブルーノ・メツ」との写真

シリアA代表のコーチ就任に関して

ーーシリアの育成年代にはどのくらいの期間携わっていたんですか?
2年間くらいかな。
ーーA代表に携わるきっかけは何かあったんでしょうか?
俺たちが立ち上げたシリアのアカデミーの代表を買って出てくれた「ファジル・イブラヒム」がA代表の監督に就任して、俺がアカデミーの中で体幹トレーニングを取り入れてやっていたんだけど、それに興味を持って、A代表の練習が終わった後に、20分くらい体幹トレーニングをやってくれって頼まれたのがきっかけだね。
ーーアカデミーと並行しながらやっていたんですか?
だって代表は1年中やっているわけではないから。
キャンプが始まってアジア大会の予選を戦うからって集められて、本大会に行くって感じでしょう?
ーーなるほど。
たしかにそうですね。
正式なコーチにはどのような経緯で就任されたんですか?
選手のために、得点シーンとか良いプレーだけを集めたモチベーション動画を作成して食事のときに流したり、日本で売っているアミノバイタルの粉末を買ってあげたりしていたら、選手たちともどんどん仲良くなっちゃって、気が付いたらそのまま代表のコーチになってた感じだったね(笑)
ーーそんな簡単に決まるもんなんですね(笑)
実際は、そんなに簡単ではないけどね~(笑)
ーー2008年のキリンカップでは日本代表と対戦して、シリア側のベンチにも入っていたんですよね?
そうそう。
試合が始まる前にキーパーにボールを蹴ったり、球拾いをしたりしてたね。
あとは、うちの用具係がミスをして、同じ背番号のユニフォームを2人に着させちゃってたから、慌てて第4審判のところに走っていって着替えさせたんだけど、俺が慌てて走っている姿がテレビに映ったのよ(笑)
ーーそれも良い思い出ですね(笑)
当時の日本代表の監督はどなただったんですか?
当時は岡田さん。
そんなハプニングがあったんだけど、別に気にしなくて良いから早く着替えてくれって言ってくれてね。
そういうのも含めて、全て良い思い出だね。

国際交流・アジア貢献活動

ーー屋良さんが参加された国際交流・アジア貢献活動って、周りの国が強くなると、オリンピックやワールドカップ予選のときに、自分たちの首を絞めることになると思うんですけど、どうしてやられているんですか?
要はワールドカップに98年のフランスワールドカップから連続で出場していて、アジアの中では油断をしなければ、出場することができるようになってきたじゃない?
でも、本大会に出てきたときにやられてしまうと。
それで、理由を考えたときに、アジア全体のレベルを上げないと、本大会で勝てないっていう結論になっんだよね。
ーー予選から切磋琢磨しないとダメだってことですね。
そうそう。
育成がちゃんとできていない国もまだまだアジアにはいっぱいあって、そういう国に対して、日本の指導者を派遣しましょうか?って聞いたら、大歓迎です!ってなって、そこからアジア貢献活動って始まったらしいよ。
ーー日本のサッカーのレベルを上げる活動でもあるんですね。
審判の方々も行ってるしね。
当時、日本のサッカー協会から資料を送ってもらって、それを基にシリアに合うような指導教本を作ったり、DVDを作ったりもしたからね。
ーーそのあたりはオープンなんですね。
ある程度の規則は守らなければならないけど、良いことは共有しましょうという観点だから割とオープンだよ。
スーダンに俺の知り合いがいたから、同じ資料をスーダンに送っても良いか確認したら、大丈夫だったしね。
ーー世間には知られてないですけど、日本は貢献しているんですね。
してるよ、すごく。
だからタイもカンボジアもレベルが上がってるでしょ?
それは、Jリーグがノウハウを包み隠さず全部渡してるからっていうのが要因としてあると思うよ。
あと、Jリーグのユニフォームを貧しい子たちにいっぱい配ってるのよ。
だから、海外の貧しい子がフロンターレのユニフォームを着ていたりするからね。
ーーサッカー協会も、もう少しこういった取り組みをしていることを発信してもいいのに、もったいないですね。
ホームページでは発信してるけどみんな見ないしね。
あとは日本人的な謙遜というか、手柄を自慢しないようなところがあるんだろうね。
ーー代表のコーチはどのくらいの期間務められていたんですか?
8ヶ月くらいかな。
本当は貢献活動期間が終わった後も、独自に契約してまたシリアに行こうと思ってたんだけど、内戦が始まっちゃったんだよね。
監督のファジル・イブラヒムは安全だから大丈夫だって言ってたんだけど、日本のジャーナリストが捕まって殺されちゃったりしてたから、さすがに行く訳にはいかないって断ったんだよね。

屋良充紀-シリア代表編①

日本人とシリア人の子供の違い

ーー日本人とシリア人の子供の違いって何かありましたか?
シリア人は13歳くらいで普通にひげが生えてるし、元々骨格がデカいから筋肉がムキムキになるんだよ。
あとは、「なんでそうなんだ」っていうことを聞いてくるよね。
こうやろうって言っても、なんでこれはだめなのか?とか。
ーー自己主張ができるんですね。
もともとはベドウィンという砂漠の民で、自分と家族だけで砂漠の中を歩き回って、羊とかラクダを自分のテントの周りで育てて、餌が無くなれば次のところに移ってたから、「自分の身は自分で守る」とか「自己主張をする」っていうのがDNAとしてあるんじゃないかな。
ーーそれだと日本と同じ指導方法だと難しい面もありそうですね。
難しいというか無理だと思うよ。
日本だと減ってきているのかもしれないけど、指導者が子供たちを服従させる軍隊のようになっちゃうじゃない?
向こうはさっきも言ったように、子供でも1人1人が自分を持っていて、コーチだろうが監督だろうが納得しないと動かない子たちが多いから、日本のような指導では無理だろうね。
ーーそれだと、子どもたち同士でも主張のぶつかり合いは多いんですか?
多い、多い。
年中言い合い。
お前のせいで点取られたみたいな(笑)
だから、揉めだしたら通訳を呼んで、何で揉めているか聞いたりしてね。
ーー勝負事にはうるさいんですね。
南米もそうだっけど凄いよ。
点数が入った・入らない、こっちが勝った、負けたっていうことに関しては凄いね。
ーー海外ではミニゲームですらそうだっていいますもんね。
日本では勝利至上主義に関していろいろと言われているけど、スポーツに教育的なものなんてないから、エグい事をしても勝とうとするからね。
日本だと、小学生年代とかで、イエローカードやレッドカードなんて滅多に出ないじゃない?
でも向こうは、後ろから蹴ったり、突き飛ばしたり、引っ張ったりするから、カードがバンバン出るからね。
ーーそれだけ勝ちたいっていう気持ちが強いんですね。
テクニカルの部分では違いは何かありましたか?
リフティングとかをさせると、やっぱり日本人の方がうまいんじゃないかな。
日本にはけん玉とかあやとりとか、お手玉の文化があって反復して上手くなるっていう遊びを結構するじゃん?
今の子はやるかどうかわからないけど。
ーーたしかにそういう遊びは好きですよね。
そんなの普通は飽きちゃうんだよ。
できなかったらもうやーめたって。
ーー僕も日本人ですけどそういうタイプです(笑)
ただ、斬新なアイデアとかは、反復行為の中で生まれるものではないから、外国人に分があるかもしれないけどね。

シリアでの経験を通じての変化

ーーシリアでの指導を通じて、何か考え方が変わった点などはありますか?
元々そうだけど、より、与えられたことを断らずに、できないとは言わないで、できますって言うようになったかな。
何でもそうだけど、何かを頼まれたらそこから勉強すればいいだけじゃん。
モチベーション動画を作るときも、そんなの作ったことがなかったけど、ムービーメーカー(動画編集ソフト)を使える人を探して、教えてもらったし。
ーー日本人はどうしても謙虚になりがちですからね。
とにかくやればいいんだよ。
だってやってできないことはないんだから。
最初はレベルが低くくなっちゃうかもしれないけど、やっていくうちに上手くなるし、絶対に実力も付くわけだからさ。
たとえできなかったとしても、できないっていうことが分かったんだから、それで良いし、命まで取られるわけでもないしさ。
ーーもうちょっとポジティブになって、ガツガツしても良いのかもしれないですね。
絶対にそう。
話が変わるけど、俺のチームがある川崎ってグラウンドを抑えるのが大変なのよ。
だから、全然知らないチームがグラウンドを使っていても、空いているところを借りても良いですか?って聞きに行くからね。
それでダメですって言われたらダメでいいし、聞くのはタダじゃない。
ーーたしかに!
僕も見習いたいと思います。

屋良充紀-シリア代表編④

海外への再挑戦

ーー今はコロナ渦なので難しいと思いますけど、また、海外で指導をしたいなっていうお気持ちはありますか?
今は自分でジュニアユースのチームをやってるから考えてないね。
例えば、Jの下部組織の監督をやっていて、契約が切れたら考えたりするのかもしれないけど。
ーー今いる子供たち置いていくわけにはいかないですもんね。
お金をいただいてやってるわけだからね。
仮に行くのであれば、もう新しい選手は取らないで、今の選手たちが卒業してからだろうね。
ただ、リーベルプントっていう俺のチームは、完全に自分のやり方で自分の理想を追及してるんだけど、最初は3年くらいで終わるかなって思っていたらもう9年目で、選ばれた子たちじゃなくて、小学生の頃は補欠だったり、あまりいい思いはしていない子の中からプロを輩出していきたいなって今は考えてるから。
ーーすばらしいですね。
いやいや。
サッカーが大好きでプロになりたいっていう子たちがいて、俺のクラブを選んで入ってきてくれるのであれば、それには応えたいからさ。
ーーリーベルプントさん出身の選手がプロになるのを楽しみにしています。
はい、当分は鉄道模型に没頭することはあきらめて(笑)、子供たちの夢を叶えられるように頑張りたいと思います。
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